私は母にあまり愛されていないと思い込んで生きてきました
お弁当を作ってくれないとかそういったことではなく、端々から感じる態度でそう感じていました
幼少期の思い出
小さい頃から、「愛想がない」「笑顔がない」「かわいくない」「蛍光灯」「反応が遅い」と両親から言われて育ってきました
(最後のは鱗滝さんのようなセリフ…)
蛍光灯というのは、話しかけても返事が遅い為、まるで蛍光灯の様だと言う意味ですね
小さい頃は毎日のように蛍光灯って言われていました
学校行くようになってからは言われた記憶がないので、幼児に即答で返事しろという無茶を強要してたのかと思うとムカついてきます
「蛍光灯」「反応が遅い」
これなんですが、今考えると、私は集中すると周りの音が全く聞こえなくなるので、遊ぶのに集中してるところに話しかけられて、気付いていないだけだったのではないかと思われます
当時の保育園の先生に大人になってから会うことがあったのですが、遊ぶとすごく集中する子だったよねって、先生に言われたのです
そして私の息子も同じように、めっちゃ集中して遊んでるね、そっくりと言われてほっこりました
今なんて、話す速度が速すぎるからもっとゆっくりしゃべってくれって、逆に父親から言われるくらい普段からせっかちめです
「愛想がない」「笑顔がない」「かわいくない」
これは私と妹と、二人とも言われ続けてきました
外面ばかり良い親は、お客さんが来た時に、ぶすっとしたままの娘達が非常に可愛くなかったらしくて、人が来ると特に言われました
どこの誰かくらい教えてくれたら挨拶くらいはするが、全く紹介とかしてくれないから、未だに親戚の人達の関係が全く分かりません
家では母親が不機嫌で怖かったことが多かったのですが、客が来るとくるっと顔が反転したみたいに愛想が良くなるのが怖かったです
その普段の不機嫌な母親を見て育った娘達が、どうやってにこにこ笑顔をふりまく可愛い娘に育つと思うのでしょうか
子どもの頃の私と妹は、笑顔が苦手で真顔の写真が多かったです
逆に宇宙人の弟は、空気を読まずにいつもにこにこしていたので、母親から可愛がられていました
しかしそれはIQが低いせいで空気が読めなかったと思われるので、そこを可愛がるのはいかがかと…
おかげで今は化け物みたいに育ってしまいました
そやって弟ばかり可愛がる母親を見て、娘は母親に可愛がられないものなんだと思っていました
私の部活に母親が登場しなかった
ここからが本題ですが、私には、中学高校と頑張っていた吹奏楽部の演奏会や大会に、特に親が登場した記憶がありませんでした
演奏会は休日に開催していたので、休日が主に仕事だった母はまあ来るわけもなく
自営業だった父も来ていた気はしませんが
当時は特に何も考えていなかったのですが、大人になってから、妹のバレーボールの大会なんかには、母親が見に行っていたことを知りました
(妹がよく来てたって言ってたので)
母親は60歳過ぎてもママさんバレーをしていたくらい脳筋なので、「好きなバレーの試合だから見に行ったんだな、脳筋だから好きでもない吹奏楽の大会なんか見に来ないわな」と自己完結していました
かあちゃんホントは大会見に来てた
しかし最近、そんな部活の思い出がちょっと思い違いだったことが発覚しました
なんの拍子か母親と中学の部活の話になり、「○○文化会館でやったお前の出た大会を見に行ったよ」と言うのです
後で中3の大会のビデオを確認したら、まさに○○文化会館で県大会に出場していました
(毎年違う会場でコンクールを行うため、中3しか該当しない)
吹奏楽のコンクールでは、出場者と観覧者が交わらない為、私は親が来ていたことに気が付かなかったし、親も特に言わなかった(まじで?)ことで、知らないでいたようなんです
演奏中に客席なんて見ても1000人以上いるわけですから、人が多すぎて見付けることは不可能です
中学最後の大会だからと、同じ部活の同級生のお母さん達と駆け付けてくれたのかなって思うと、少しほっこりしました
県内では一番遠方の会場だったのに、わざわざ…
演奏の感想でも教えてくれたら、こちらも記憶に残るというのに…
(当時は言っていたのかもしれない、私が覚えなてないだけなのかもしれない?)
(中学なんて反抗期真っ只中だったから、私の機嫌がいつも悪いせいで、大会を見に行ったことを言えなかった?)
(もしかしたら…県大会ダメ金で西関東大会に行けなかったことが悔しくて、帰宅してから塞ぎ込んでいた?)
かあちゃん今まで誤解しててごめんよ!!
母親は愛情表現がヘタで口に出さないので、私に伝わっていなかっただけで、別に娘を愛していないわけではないんだと思います
さすがに可愛いであろう孫にも、「かわいい」なんて口が裂けても言いませんからね
しかし明らかに可愛がっているのは外から見てたらわかる
昔は、母はワンオペで子ども3人育てて、何もしない飲んだくれの父と、お年のひいおばあちゃんと、一緒に暮らすのは大変で、それでいつもキレていたんだと思います
飲んだくれの父は、「台所には死んでも立たん!女の仕事だ!」と言ってたからね、家事ひとつも手伝わなかったんだと思います
末っ子で甘えん坊(母の姉が言ってた)の母には、この環境で生きて行くのは辛かったのだろう、子どもに当たらないとやってけなかったのだろうとは思います
というわけで、少し私の中の子どもの頃の思い出が良い方にアップグレードされた話でした
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